観音寺(かんのんじ)は、赤穂浪士の討ち入りに名を連ねた近松勘六行重と奥田貞右衛門行高が寺の和尚と兄弟だったため、彼らの会合に使われていたようである。討ち入り後に赤穂浪士供養塔が境内に建立された。 新義真言宗の寺院である。
昭和の下町、谷根千
2018.10.23
2018.10.03